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旧磐井川による残存湖が消滅へ!


 もと大湿地帯の面影を残すため、3月3日の岩手日報朝刊に掲載された下記の文をお読みいただき、岩手県へ意見を寄せてください。(実名でお願いします)

  岩手県のホームページは検索エンジン等(例 yahoo!、Google)で「岩手県庁」と検索願います。
 
平泉守った遊水地周辺
−湿地帯の面影残して−

 私が住持する祥雲寺では、春秋の彼岸中日を境に晩鐘の時間が変わる。夏季は午後6時、冬季は5時である。したがって、春分の日(3月20日)前日まで、毎日午後5時前に鐘楼に行くことになる。
 一関市では、全地域に午後5時になると機械音の音楽を鳴らすため、冬季晩鐘は時間を告げる意味を失っている。
 しかし、この時期の鐘つきは、ことのほか楽しい。2月上旬から、伊豆沼、長沼、蕪栗沼などのねぐらに帰る約1万羽と推定される雁の群れが、鐘つき時分から寺の真上を通り過ぎるからである。
 2月下旬から3月にかけては、次第に遅くなり午後5時30分ごろが通過時間のピークになる。北西のかなたに黒い編隊が次々とわき出て、一斉に迫ってくるさまは圧巻である。
 わずか40〜50メートル上空を飛ぶ時は、羽音まで聞こえてくる。

 彼らの飛行形はさまざまである。大編隊で「頑張れ、頑張れ」と声をかけながら綺麗なV字形で鐘楼に迫ってくるものがあれば、全く声を出さず、まるでアメリカのステルス型爆撃機のように正体を見せまいとして無音で通り過ぎる小隊もある。
 また、大編隊から3、4羽が逆方向に戻り、後続の大編隊に合流するときもある。おそらくは、家族と離ればなれになったことに気づき戻ったのであろうか。このような生き物の姿は「おまえたちもしっかり生きているなあ」と感動を与えてくれる。
 雁は漢詩でも詠じられてきたが、早春や鳥たちのたくましさをうたうのではなかった。清代の天才詩人、王士禎(おうしてい)(1634−1711)が「満林の黄葉 雁声多し」(江上)、「雁声 揺落し 孤舟遠し」(樊圻(はんき)画詩)とするなど、雁声が晩秋のわびしさを感じさせ、詩情をかき立てたようである。
 このような雁にまつわる季節感は、中国湖南省洞庭湖南の名勝地による瀟湘(しょうしょう)八景(日本における近江八景などの元となった)の「平沙落雁」によって強まったのであろう。
 江戸時代に制定された一関八景では「中里落雁」となっているが、ここは現在の一関遊水地と想定される。
 一関八景の一つに挙げられていた「祥雲晩鐘」の地で、300年前の人々が楽しんだ雁との触れ合いができるとは、まことに得難いひとときである。
 また、伊豆沼では雁が増え過ぎて、餌場としては飽和状態になったため、一昨年から、餌場として一関遊水地に来る大分派が起こったことを知るものとしては、遊水地が単なる雁の餌場だけでなく、ねぐらなどの休息地としても使えるようになってほしいと念じざるを得ない。

 遊水地になっている地帯は、かつては平泉の防御に貢献する大湿地であり、石巻と結ぶ北上川舟運第二の港ともなった。人を阻む地理的条件は運輸の拠点としての機能も果たした。
 今、この地域では、土地改良区事業で大型水田化が図られている。今年中には、洪水時に遊水地内にため込む水量を多くする湛水池(予定)付近まで工事が進むという。
 この計画によって、大湿地帯の面影を残す旧磐井川による残存湖が消滅する。そして、そこに接して湛水池が造られるという。何たる矛盾であろうか。
 土地改良区事業は、私有地の申請事業であり「県行造林」と同じ性格を持つが、いずれも税金が投入されている以上、自然や生態系を重視する市民の声が全く反映されないのはいかがなものか。
 奥州藤原氏の権勢を支えた地政学的特徴の消滅には無関心で、遺跡や遺産のみを喧伝するだけでは、真に文化的な行政とは言えないであろう
 幅広い見地で岩手の「宝」を大事にしていきたいものだ。

岩手日報 2008年(平成20年)3月3日(月曜日)

祥雲寺の上空を飛ぶ雁(3月2日撮影の動画はこちらから
祥雲寺の上空を飛ぶ雁


旧磐井川による残存湖を調査する東大大学院保全生態学研究室のメンバー
旧磐井川による残存湖を調査する様子





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